シネフィルでは、まもなく公開する話題の映画『モヒカン故郷に帰る』沖田修一監督と『下衆の愛』内田英治監督に海外に映画を配給するプロデューサー アダム・トレルさん 公開記念特別座談会 を前後二回に渡ってご紹介いたします。
この春、話題の日本映画となっている『モヒカン故郷に帰る』と『下衆の愛』。
”モヒカン”と”ゲス”の監督座談会、公開直前で独占公開です!!!
沖田修一監督「モヒカン故郷に帰る」×内田英治監督「下衆の愛」
×アダム・トレル 海外配給プロデューサー
公開記念特別座談会 前編
沖田監督(以下敬称略):「沖田修一と申します。4月9日から公開する『モヒカン故郷に帰る』の監督です。」
内田監督(以下敬称略):「内田英治です。『下衆の愛』の監督です。よろしくお願いします。」
アダム・トレル(以下敬称略):「『下衆の愛』のプロデューサーのアダムと申します。沖田監督の『キツツキと雨』と『横道世之介』の海外配給、『下衆の愛』も海外配給を担当しました。」監督お二人の作品は日本のすごく狭いピンポイントな物語を描いています。
非常にドメスティックに思われますが、何故このような作品を作ったのですか?
沖田「広島が舞台ですね。これはかなり東京から離れているイメージで、帰るのが面倒くさくなるというか、お金もかかるし。帰りたくなくなるほどの距離ということで色々探しました。」
内田「この作品はモヒカンありきなんですか。」
沖田「いや、モヒカンは特に。ただモヒカンなだけであって。」
内田「どういうものをやりたいという想いがあったんですか。」
沖田「お父さんを看取る話です。そっちの方がわりとメインで、話は渋いんですけれども、(ビジュアルは)物凄く明るい感じになっていますね。(笑)」
内田「そうなんですね。僕は沖田監督の『キツツキと雨』の大ファンなんですけど、あれも田舎が舞台じゃないですか。都会が舞台の映画とかはあんまり撮ったりしないんですか。」
沖田「なんか、あんまりしないですね。なんでだろう。なんかよくわからないですけれど、海だ山だみたいなね。東京は撮りづらいんですかね。」
内田「それはあるかもしれないな。」
沖田「あとは合宿でどっか行くみたいなのは割と好きです。」
内田「撮影のスタイル的にということですか。」
沖田「そうですね。毎日新宿とか渋谷とかで朝から待ち合わせしたくないという気持ちがありますね。内田さんは東京での撮影に関してはどうですか。」
内田「これは下北沢で撮ったんですけれども、僕は下北映画をあんまり観ないので逆に撮ってみたいなと思って撮りました。“下北映画”というジャンルがあるのかわからないですけれどね。」
沖田「そうですね。見覚えのあるところがたくさん出てきました。」
内田「観光名所のような下北の場所で撮りました。最初はドメスティックすぎて海外の映画祭もポチっと応募して終わるのかなと思っていたんですけれども、プロデューサーの彼が「そんなことないよ」と言ってくれました。」
沖田「別に下北沢がいっぱいでてくるからといって、どこの国で観ていようが、東京のどこかの下町っぽい街なんだなと印象を受けるのではないかと思います。」
映画の中で映画を描くこと―『キツツキと雨』と『下衆の愛』の共通点―
内田「『キツツキと雨』は映画の話じゃないですか。『下衆の愛』も自主映画の話なので、なんとなく共通点に感じますね。」
沖田「そうですね。これ凄いですね、この監督。(『下衆の愛』のポスターを指して)こんな監督になりたいです。(笑)これは内容について触れていいんですか。」
内田「いいですよ。」
沖田「俺も飲み屋でトイレに連れ込もうかな。(笑)凄いなと思いました。(笑)」
イギリスと日本の自主映画の水準の違い
アダム「先ほどからドメスティックというけれど、映画を撮っている話はどこでもあるじゃない。」
沖田「そうですね。昔からありますね。」
アダム「だからそういう意味ではドメスティックじゃない。幅広いリーチがある。」
内田「イギリスの自主映画ってありますか。」
アダム「日本の自主映画とは違う。日本の自主映画は水準が高くないように思う。日本では、自主映画とインディペンデント映画も違いがあるね。日本のインディペンデント映画が外国の自主映画と同じくらいだよ。」
『下衆の愛』のストーリーからみる映画監督という仕事
沖田「『下衆の愛』のストーリーをネットで観ていて、凄く面白いと思ったのが、“映画監督テツオは実家で暮らすニート“というような記載で、二つ職業がある。その文章のニュアンスは自主映画とかやっている人はわかるけどね。」
内田「40歳過ぎてるんですけど、未だに母親に「早く就職しなさい」っていわれる。」
沖田「じゃあ、完全にこの“テツオ”は内田監督自身なんですね。(笑)」
内田「それくらい映画監督っていうのは信用性のない職業なんだと思う。」
どのような作品を観るのか
内田「(沖田監督の)作風的にどういうものを観ているのかが気になります。僕はふんわりした映画が苦手なんですよね。僕の中では沖田さんの作品もふんわりとしたジャンルにははいるんですけど(笑)」
沖田「そうですよね(笑)」
内田「でも、僕これは別に対談するからとかじゃなくて『キツツキと雨』は面白くて本当に好きなんです。」
沖田「ありがとうございます。なにがふわふわなのかはわかんないんですが。(笑)」
内田「なんとなくのイメージなんですけど。」
沖田「僕は単純にそのつもりがないからな。」
アダム「僕は日本の大きい会社のドラマ・映画は本当に嫌い。沖田さんの映画にでてくる懐かしい話とか、俺は普通なら観たくないけど、(沖田監督の作品は)めっちゃ好き。たぶん上手いから。こんな人はほとんどいない。商業映画は普遍的な話になっちゃうから、普通は上手くできないよ。」
沖田「逆に内田さんはどうなんですか。観る映画と自分のつくる映画と。」
内田「僕はそうですね。バイオレントなのが好きなので。」
沖田「じゃあ、近いんじゃないですか。」
内田「近いですかね?これ(『下衆の愛』)はふわふわ映画なんで。(笑)」
沖田「え。(笑)じゃあ俺も超ふわふわだ。(笑)」
内田「この前の『グレイトフルデッド』はもっとバイオレントなんですけど。これはふんわりとした映画を撮りたいと思って撮ったんですよね。」
先ほどドメスティックな作品ということで伺いましたが、アダムさんはディストリビューターとしてこういう作品は海外でどう見られますか?
アダム「ドメスティックな日本映画は海外、アメリカやヨーロッパとかでは人気があると思う。日本の人気のある映画はアジアの中で人気がある。それは“役者”や“タレント”が日本と近いアジア圏で売れやすいということがある。アメリカやヨーロッパはそれよりも“ストーリー”と“リズム”とが大事で、“役者”は関係なくて“監督”が大事。日本のサブカルチャー映画とかは人気がでると思う。」
内田「ハリウッドスタイルの日本映画はどう?」
アダム「それは一番ダメかもしれないね。」
『キツツキと雨』のアメリカリメイク!? 海外の映画祭のはなし
内田「海外の映画祭は結構行かれていますか。」
沖田「そんなに多くはないと思いますが、一作撮るごとに少し呼ばれています。審査員みたいなもので呼ばれたりすることもあったりして、1年に1回くらいは行くことがありますね。」
内田「海外に呼ばれることに対して、意識はあるんですか。」
沖田「僕の場合はコメディ要素が強いので、お客さんの反応が向こうの方がいいんですよね。だからそういう反応を見たくて行きたくなるときがある。まあ、意識はちょっとありますね。他の国の人がどう観るのかに興味津々です。」
内田「例えば外国で映画撮るとか、自分の映画が外国で興行されるとかに関してはどうですか。」
沖田「欲求みたいなことですか。でも、向こうの俳優さんとやってみたいなとか、向こうでロケしてみるとかいうのは考えますね。それは単純に企画として面白そうだからだけなんですけれども、色々そういうアイデアは考えたりします。アジア圏とかは行きたいですね。」
アダム「『キツツキと雨』は本当にアメリカでリメイクできそう。」
内田「できそう!」
アダム「初めて観たときから、これはアメリカとかイギリスでもこのストーリーはどこでもリメイクできると思った。」
沖田「じゃあして(笑)」
内田「出来そうだと思う。親子の関係という普遍的なテーマもあるし、プラスしてゾンビ映画っていう面白さもあるし、絶対アメリカ向きですよ。」
沖田「そうですね。それはどうしたらいいんだろう。」
内田「いつか実現したらこのインタビューがもとだって言ってくださいね。(笑)」
つづく