京都文化博物館フィルムシアター、戦争と映画−戦意高揚映画から反戦映画まで。
本日8月29日は、『ひめゆりの塔』(1953)が上映されます。

「ひめゆり部隊」の十二週間にわたる悲惨な戦いを、彼女らの手記を元に、水木洋子が脚本化。


極限状態の中、純真な心で自らの命も省みず奉仕してきた女学生達を待っていたのは、背後から襲いかかる雨のような銃弾と、そして自らの身を守るために醜さをさらけだす軍人。
行き場を失い手榴弾で自ら爆死する者、降伏しようとして軍人に射殺される者、倒れてゆく少女達の瞳には何が写ったのであろうか。

‪#‎ミニシアター‬ http://www.bunpaku.or.jp/exhi_film/

画像1: 『ひめゆりの塔』 1953(昭和28)年東映作品/127分

『ひめゆりの塔』
1953(昭和28)年東映作品/127分

京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

京都文化博物館フィルムシアター、戦争と映画−戦意高揚映画から反戦映画まで。本日29日は『ひめゆりの塔』(1953)


京都文化博物館フィルムシアター、戦争と映画−戦意高揚映画から反戦映画まで。本日29日は『ひめゆりの塔』(1953)。「ひめゆり部隊」の十二週間にわたる悲惨な戦いを、彼女らの手記を元に水木洋子が脚本化。極限状態の中、純真な心で自らの命も省みず奉仕してきた女学生達を待っていたのは、背後から襲いかかる雨のような銃弾と、そして自らの身を守るために醜さをさらけだす軍人。行き場を失い手榴弾で自ら爆死する者、降伏しようとして軍人に射殺される者、倒れてゆく少女達の瞳には何が写ったのであろうか。

‪#‎ミニシアター‬ http://www.bunpaku.or.jp/exhi_film/

『ひめゆりの塔』
1953(昭和28)年東映作品/127分


『ひめゆりの塔』
1953(昭和28)年東映作品/127分
制作:大川博 企画:マキノ光雄、伊藤武郎 監督:今井正 脚本:水木洋子 撮影:中尾駿一郎 照明:平田光二 録音:岡田三千雄 美術:久保一雄 監督補佐:村山新治 編集:河野秋和 舞台

製作:岩腰助三郎 進行担当:桐原良典 音楽:古関祐而 沖縄民謡編曲指導:波平暁男 舞踊振付:児玉清子 
資料協力:仲宗根改善著『沖縄の悲劇』、石野径一郎著『ひめゆりの塔』、沖縄タイムス所蔵『沖縄戦記』、生存者の教官、女学生、軍人の談話 爆破技術:(株)丸王屋小勝煙火店


出演:津島恵子(ひめゆり部隊先生・宮城)、岡田英次(玉井)、信欣三(平良)、石島房太郎(南舎監長)、殿山泰司(照垣)、河野秋武(仲栄間)、春日俊二(徳田)、神田隆(橋本)、南川直(奥里書記)、清水元(山岡部長)、香川京子(生徒・上原文)、関千恵子(久田淳子)、小田切みき(尾台ツル)、岩崎加根子(花城露子)、徳永街子(安座間京子)、大和田絢子(知念トシ)、魚住純子(滝ヨシ)、酒井奈々子、馬瀬洋子、川口節子(小谷初子)、阿部和加子、渡辺美佐子(安富良子)、横森つぎ江、相原通子、桑原睦子、岡野真樹子(諸見里キヨ)、北條美智瑠(嘉敷米子)、楠侑子(嘉浦春子)、市村雅子(文の妹・チヨ)、相馬百合子、清水栄子(垣花浩子)、坂口寿美子(安里恒子)、松井博子(前山静)、牧幸子(比嘉清)、長谷川菊子(山里芳子)、片岡藍子(山城福子)、福田昭子(棚田キミ)、

岡田宮子、小枝房子、後藤満智子、田中稲子、古畑輝子、和田泰子、杉田弘子、矢部洋子、近藤富美子、中沢すみ江、門脇禎子、鈴木キワ子、久下彗子、清水千代子、[陸軍医院]藤田進(岡軍医)、原保美(大高見習士官)、加藤嘉(佐々木軍医長)、林孝一(山根軍医)、原泉子(大城婦長)、薄田つま子(仲里看護婦)、山田好一(米田軍医)、清村耕司(軍医)、土田嘉男(同)、石田鉱、川原和雄、四方正夫、武内亨、道三重道、島崎喜美男、岩楯守、滝沢章和、穂積隆信、野本昌司、豊野弥八郎、船山汎、中谷清信、比田六郎、鹿島邦夫、春名薫、山本みどり(看護婦)、三井あき子(同)、[父兄]利根はる恵(安里ルリ)、戸田春子(ツルの母)、森野五郎、島田敬一(山里の父)、田中筆子(花城カメ)、原緋紗子、[其の他]柳文代(老婆)、塩谷達夫(少尉)、久保一、於島鈴子、田中栄三、祝順美、若杉五馬、久保辰雄、山本和子(梅子)

画像2: 『ひめゆりの塔』 1953(昭和28)年東映作品/127分

『ひめゆりの塔』
1953(昭和28)年東映作品/127分


昭和二十年三月、米軍上陸直前の沖縄は死の様相を呈していた。軍部は”沖縄決戦”というかけ声の下、沖縄師範女子部と沖縄県立第一高女の女学生たちまでも”勤労奉仕”として最前線へとかりたてる。胸に白百合と桜の記章を付け、ひめゆり部隊と呼ばれた彼女たちは、激しさを増す戦況の中、日の丸のはちまきをしめて、負傷者の手当、弾運びにとかいがいしく働いた。そして敵軍の攻撃にいち早く後退した軍隊に取り残され、敵軍の砲弾や機銃にさらされ、次々と無残な死をとげていった・・・。


昭和27年のサンフランシスコ講和条約の締結により、占領軍による統治の時代は終わり、日本は独立国として再出発する。占領時代には映画作品の検閲も占領軍が行っており、封建主義、軍国主義的主題、また暴力的表現も制限されていた。
当然戦争関係の映画も厳しい検閲を受け、終戦5年目、戦歿学生の手記から『きけ、わだつみの声』を東横映画が製作公開した後、徐々に反戦的主題の戦争映画も製作されだした。本作『ひめゆりの塔』は講和条約の一年後に製作された作品であるが、暴露的な内容とそれまでの反戦映画とは一線を画すリアリティあふれる映像表現で大きな社会的反響を巻き起こした。

第二次大戦末期、日本本土で最大の陸戦となった沖縄決戦に、県立第一高女・沖縄師範女子部の女学生は、挺身奉仕隊として最前線に動員され、悲劇的最期をとげた。

この「ひめゆり部隊」の十二週間にわたる悲惨な戦いを、彼女らの手記を元に同じ女性のシナリオライターである、水木洋子が脚本化する。

極限状態の中、純真な心で自らの命も省みず奉仕してきた女学生達を待っていたのは、背後から襲いかかる雨のような銃弾と、そして自らの身を守るために、醜さをさらけだす大人達であった。
逃げまどい敵弾に斃る者、行き場を失い手榴弾で自ら爆死する者、降伏しようとして軍人に射殺される者、倒れてゆく少女達の瞳には、何が写ったのであろうか。

監督の今井正は、勝算の無い戦いにかりだされ、若い命を散らせてゆく少女達の悲惨な姿を、セミ・ドキュメンタリー・タッチで克明に演出。その感傷を廃したドライな表現が、かえって観る者の心をとらえ、公開当時600万人を越す観客を集めた。
(キネマ旬報賞第7位)


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