従軍作家・火野葦平の新資料発見
戦時中、軍に同行して戦地で作品を書いた「従軍作家」の1人で北九州出身の芥川賞作家、火野葦平。
その火野が終戦から3か月後、アメリカから聞き取り調査を受けていたときの記録が見つかりました。
記録からは、軍から制約を受けながらも、戦地のありのままを書きたいと葛藤する火野の姿が浮かび上がってきました。

戦時中に、芥川賞を受賞したことから、その文才を陸軍に利用されることとなった、火野葦平。
新たに見つかった資料から、その足跡をたどります。

参照元
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0811.html

シネフィル編集部

画像1: http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0811.html

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“従軍作家”火野葦平


“従軍作家”火野葦平
火野葦平は、日中戦争から太平洋戦争にかけて、軍に同行しながら作品を書く「従軍作家」でした。
火野は30歳で一兵士として召集されました。

画像2: http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0811.html

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0811.html

その翌年、出征前に同人誌に発表した作品が芥川賞に選ばれます。
授賞式は戦地、中国・杭州で行われるという異例なものでした。
受賞を機に、火野は陸軍の報道部への異動を命じられます。火野の文才に目をつけた陸軍が引き抜いたのです。それからの火野は陸軍報道部員としてさまざまな作戦に同行しながら戦争のようすを伝える作品を執筆しました。
火野の代表作で、戦場の兵士の日常を描いた「麦と兵隊」をはじめとする“兵隊三部作”は300万部を突破しました。
戦地に送られた肉親の様子を知りたいという国民の期待に応え、それが戦意高揚につながっていきました。

画像3: http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0811.html

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0811.html

見つかった火野への聞き取りの記録
今回、新たに見つかったのはアメリカの戦略爆撃調査団が行った火野葦平への聞き取り調査の記録です。

参照元 詳細は下記へ!
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0811.html

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