Cinefil原稿『映画と小説の素敵な関係』
第一回 -序-

皆さん、初めまして。私は江面貴亮と申します。
今回、ご縁あって、この『Cinefil』で連載を始めさせて頂くにあたり、まずは簡単に自己紹介をさせて頂きます。私はいわゆる「Vシネマ」と呼ばれるオリジナルビデオ映画や小規模映画を中心に、脚本家・監督としてお仕事させて頂いております。

そんな私が連載を書くにあたり、「いったい何を書くべきだろう?」と考えた時に、いちおう脚本家という肩書きがメインでありますので、それに因んで『映画と原作の素敵な関係』について書かせて頂こうと思った次第であります。

画像: Cinefil原稿『映画と小説の素敵な関係』 第一回 -序-

映画と小説――これは古くから切っても切れない関係のものです。日本ではあまり「オリジナル脚本」と「脚色」を明確に分けて考えられてはいませんが、アメリカのアカデミー賞をご存知の方はお解りの通り、「オリジナル脚本賞」と「脚色賞」は別々の賞となっています。つまり、欧米諸国では明確に区分されているものなのです。

「オリジナル脚本」というのはいうまでもなく、映画用にゼロから作られた書下ろしの脚本を指し、「脚色」とは小説や戯曲、近年ではコミック(マンガ)やゲームなどを原作として、映画用に再構築した脚本を指します。

因みに、よく「オリジナルと原作モノでは、どっちが作るの大変なの?」と質問されることがあるのですが、それは脚本家さんによって個人差があるものと思います。
私は基本的にはオリジナル脚本を作る人でして、自由に発想出来る分、ラクなのですが(とはいっても大抵はプロデューサーや監督と企画を作ったり、原案のようなものがある場合が多いので100%ゼロからとはいい難いですけれど)、原作があったほうがゼロから作るわけではない分、そのほうがラクだという人もいると思います。

因みに、日本の映画業界では、圧倒的に「原作モノ」(それは原作の知名度があるからという理由において)が多いので、「脚色」の技術が求められるともいえます。

私は幼い頃から外国映画が好きで、小学校一年生の時に「映画を作る人になる」と決めたので、きっかけも、その後に勉強して来たことも外国映画がベースでした。ですので必然的に、「オリジナル脚本」か「脚色」かという点に興味がいき、その結果として海外文学に傾倒してゆくことになりました。

しかし、海外のものを読み解くには、その国の文化や歴史、価値観や精神性などを知る必要があり、合わせて様々な書物や情報を収集して学ばなくてはならないという状況に陥りました。すべては、映画を出来る限り理解したいという思いのもとに。
もちろんそれは、「映画を作る」という目標があったが為に、まったく苦にならず、寧ろ愉しみや喜びだったわけですが。
そんなわけで幼少の頃から、外国の映画と、原作となった小説を比較し、どのように映画の脚本(脚色)が作られているかを愉しんで来たわけです。ですので、ここで紹介してゆく作品も、海外作品が中心となります。

些か前置きが長くなってしまいましたが、そんなわけで、私の好きな映画と原作になった小説についてお話ししながら、『映画と小説の素敵な関係』を描いていけたらと思っております。

あまりによく知られている作品を今更ながらに私が紹介しても・・・という思いもありますので、あまり知られていなさそうな作品や、一部マニアに受け入れられた作品、マイナーな作品を取り上げてゆきたいと考えていますが、皆さんに少しでも、新しい発見を提供出来たらと思っております。

それでは、次回からは作品を取り上げて、お話ししてゆきたいと思いますので、宜しくお願い申し上げます。
                                       江面貴亮

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