中村錦之助(宮本武蔵)VS高倉健(佐々木小次郎)!!映画にみる戦国時代。本日6月20日は『宮本武蔵 巌流島の決斗』(1965)。
@京都文化博物館フィルムシアター

京都文化博物館フィルムシアター、映画にみる戦国時代。本日20日は『宮本武蔵 巌流島の決斗』(1965)。宮本武蔵一挙上映はクライマックスの巌流島の決斗。柳生但馬守により将軍家指南役に推された武蔵であったが、年端もいかぬ吉岡源次郎を斬ったことが問題になり話は流れてしまう。

光悦の元に身を寄せる武蔵に佐々木小次郎から挑戦状が。

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画像1: 京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

『宮本武蔵 巌流島の決斗』
1965(昭和40)年東映京都作品/120分・カラー

『宮本武蔵 巌流島の決斗』
1965(昭和40)年東映京都作品/120分・カラー
製作:大川博 企画:岡田茂、小川三喜雄、翁長孝雄 原作:吉川英治 脚本・監督:内田吐夢 脚本:鈴木尚之 撮影:吉田貞次 照明:中山治雄 録音:渡部芳丈 美術:鈴木孝俊 音楽:小杉太一郎 編集:宮本信太郎 助監督:鎌田房夫、杉野清史、大串敬介 記録:梅津泰子 装置:木津博 装飾:宮川俊夫 美粧:林政信 結髪:妹尾茂子 衣裳:三上剛 擬斗:足立伶二郎 進行主任:福井良春 邦楽:中本敏生

出演:中村錦之助(宮本武蔵)、高倉健(佐々木小次郎)、里見浩太郎(細川忠利)、

入江若葉(お通)、丘さとみ(朱美)、田村高広(柳生但馬守)、河原崎長一郎(林吉次郎)、木村功(本位田又八)、千田是也(本阿弥光悦)、内田朝雄(岩間角兵衛)、清水元(小林太郎左衛門)、日高澄子(女房)、浪花千栄子(お杉)、三島ゆり子(お光)、中村是好(厨子野耕介)、北竜二(酒井忠勝)、尾形伸之介(川越の熊五郎)、中村時之介(半瓦弥次兵ヱ)、高松錦之助(榊原康政)、神木真寿雄(縫殿介)、島田景一郎(佐助)、金子吉延(伊織)、鈴木金哉(狐の十郎)、遠山金次郎、片岡半蔵、源八郎、有川正治(岡谷五郎次)、大里健太郎、江木健二、矢奈木邦二朗、岩尾正隆、那須伸太朗、大城泰、香月凉二、毛利清二、川浪公次郎、野村鬼笑、利根川弘、森源太郎、熊谷武、大東俊治、西春彦、有馬淳平、三国連太郎(宗彭沢庵)、片岡千恵蔵(長岡佐渡)

画像2: 京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

 一乗寺下り松に吉岡一門を葬った武蔵は、宿敵佐々木小次郎との再会を約束して再び修行の旅に出た。その冬訪れた村で、武蔵は父を亡くした侍の子、伊織と出会った。父の代わりに伊織と共に鍬を持って荒れ地に挑み、苦労が実った収穫の秋に、野盗が畑を襲った。武蔵の怒りの剣に野盗は撃退、武蔵は伊織を連れて江戸へ向かった。

ある日、博労宿に滞在していた武蔵のもとに北条安房之守からの使いがやってきた。連れて行かれた屋敷では柳生但馬守と沢庵が待っており、お通を呼んで将軍家の指南として身を立てることを勧めた。だが、閣老会議で武蔵が年端の行かぬ吉岡源次郎を斬ったことが問題となり、指南の道は閉ざされた。やがて、京都にて伊織と共に光悦の屋敷に身を寄せていた武蔵のもとに佐々木小次郎からの果たし状が届いた。沢庵に伊織を託し、小倉へ向かう武蔵であったが・・・。

 アメリカでの“西部劇”はテレビ放送の浸透と共に衰退を余儀なくされたが、日本でもそれまで圧倒的興行力を誇っていた時代劇がレジャーの多様化、大型化の中で退潮を示し出した。そんな中気を吐いたのが内田吐夢監督による“宮本武蔵”シリーズであった。

1935(昭和10)年から39(昭和14)年まで朝日新聞に連載された吉川英治原作の同名小説を、鈴木尚之と内田吐夢が脚本化した。吉川英治の『宮本武蔵』は、剣禅一如の世界へと進む苦悩に満ちた人間・武蔵を剣の精進と求道によって成長する課程を描き、当時の青年層の支えとなった。さらには徳川無声の朗読によるラジオドラマや映画、テレビなどで度々取り上げられては多くの人々の心を捉え、国民文学と呼ばれるまでになった。とりわけ内田吐夢監督による“宮本武蔵シリーズ”は、これまでに映画化された武蔵映画の中でも、一際抜きんでた傑作として評価が高い。

画像3: 京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

京都文化博物館 映像情報室 The Museum of Kyoto, Kyoto Film Archive

本シリーズは1年に一本ずつ、5年がかりで取り組んだ連続長編となり、出演する俳優達の年齢的成長とシンクロするかたちになった。お通を演じた入江若葉は、往年の大女優入江たか子の娘で、当時17歳。女優経験が全くない素人だったが、五年の歳月を経て徐々に成長を遂げていく。さらに、主演の中村錦之助の演技は年を重ねるごとに深まり、役者としての存在感に厚みが加わる様子は興味深い。

中村錦之助は、デビュー以来東映のドル箱スターとして、『笛吹童子』(1954)、『紅孔雀』(同)、『里見八犬伝』(同)、“源氏九郎颯爽記”シリーズ(1957〜)等で白ずくめの美剣士として商業規格的娯楽路線を堅持する一方、『織田信長』(1956)あたりから本格的な演技者への道を模索し始める。加藤泰監督による『風と女と旅鴉』(1958)ではチンピラ渡世人・銀次役をノーメイクで好演、そして演技派への飛翔の大きな契機となったのが内田吐夢監督による芸術祭参加作品『浪華の恋の物語』(1959)であった。

この近松モノで、金で縛られる遊女・梅川(有馬稲子・初共演)への御しがたい恋情と、金に生き、金を生かす浪速商人の土性骨を巧みに演じ巨匠の期待に応えた錦之助は、1961年、内田監督により“宮本武蔵”に抜擢された。

剣戟においては『一乗寺の決斗』のクライマックス・泥田の中での大殺陣の評価が高く、時代劇演出の白眉と言われている。これは滋賀郊外に広大なセットを作り、日の出前後の光線を狙ってぶっつけ本番で撮影されたという。

内田監督は、殺すか殺されるかという状況での倫理的命題、“強さ”とはなにかという禅的命題、お通への恋情と禁欲、と結局“強さ”のこだわり、生にしがみつく武蔵に課せられる様々な試練を武蔵の人間的成長の契機として、ドラマとしての決斗までのプロセスに織り込み自己実現して行く武蔵を描いた。

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