石山友美監督『だれも知らない建築のはなし』の公開記念トークイベントが、26日に東京・青山ブックセンター本店で行われた。
建築家・伊東豊雄が、建築史家・五十嵐太郎氏、石山監督と共に出席。
伊東は国際会議での緊張の瞬間や、安藤忠雄とのエピソードを赤裸々に語った。

「一番の被害者は安藤さんだった。『住吉の長屋』(安藤の初期代表作)をプレゼンし終えると、レオン・クリエという建築家がゆっくり無言で拍手して。僕の感覚では3分ぐらい続いた。そして『これは牢獄だ』と一言。僕も安藤さんも英語が苦手なので、ひたすらニコニコしながら、仲良く寄り添っていました」と話すと、場内から爆笑が。「会議の後ニューヨークに行って、お金がないから3日間安藤さんと同室で寝泊まりして。そんな経験があるとコンペで争っても、どこか許せる仲間意識が今もあります」と打ち明ける。

今はグローバル経済によって世界中が同じ街になり、建築はますます巨大化し、建築家があえてやるべき仕事はなくなってきた。そんな中建築に未来があるとすれば、自然から切り離された都市より地方の田舎で、そこに住む人たちと一緒に作っていくものの方だと思うんです。『コミュニティデザイン』(人のつながりを目的としたデザインの意)という言葉を使わずとも、人と環境の中に入っていける建築が、だいぶ先かもしれないけれどできるかもしれない」と熱い希望を語っていた。

画像: 建築家 伊東豊雄 http://www.cinematoday.jp/page/N0073405

建築家 伊東豊雄

http://www.cinematoday.jp/page/N0073405

今、建築家は何を考えどこに向かっているのだろうかー
建築界の最重要人物たちが本音で語る「建築の未来」とは?

華々しい国際的評価を得ながら、職能としての「建築家」が根付かない日本
国際化を迎えた70年代からの記憶とともに、揺れ動く日本人建築家たち

1982年、アメリカ、シャーロッツビル。当時、世界を代表する超一流建築家が一同に会し、建築の未来を 議論する伝説的な国際会議が開かれた。その名は「P3会議」。日本からは磯崎新が2人の無名の若手を伴って参加する。後に世界的な建築家へと成長する安藤 忠雄と伊東豊雄であった。そして30年後。建築家たちが初めて当時を振り返る取材に応じる。数々の証言が織りなす日本建築史の舞台裏。それは高度に資本主義化した社会で、何をどう生み出すのかという彼らの夢と挫折の歴史。バブル経済がもたらした功罪や、公共建築のあるべき姿も問い直されていく。

専門的な知識がなくても、建築家同士の掛け合いがスリリングに伝わってくる
まるで群像劇のようなドキュメンタリーを完成させた新鋭・石山友美

監督はドキュメンタリーとしては初の長編となる石山友美。大建築家たちや神話的エピソードを崇めることは一切せず、今の問題意識から建築家の存在意義を問いかけていく。その切れ味鋭い批評眼は、いまだ体験したことのない高揚感を観る者にもたらすだろう。

映画『だれも知らない建築のはなし』予告編

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