「新世紀映画論」(第2回) 林海象
122年前に誕生した映画は、最初は魔法に近い存在だった。
リミュエール兄弟が発表した最初の映画シリーズは、駅のプラットフォームに蒸気機関車が到着する情景を写した数分の映像であり (「ラ•シエタ駅への列車の到着」)、それを観た最初の観客たちは、スクリーンの中から機関車が飛び出してくると思って逃げ惑い、工場から仕事を終えた従業員を撮影した映像 (「工場の出口」)を観た観客たちは、スクリーンの後ろに人が隠れているのかと裏を覗き込み、そこに誰もいないことがわかると、その不思議に首をかしげた。
その頃の人々にとつて映像は摩訶不思議な魔法であり、当時の人はその魔法に対して大いに興奮した。それらの映像は世界の津々浦々を周り、人類が発明したMotion Picture つまり動く絵「活動写真」は、ペストやコレラの伝染速度より早く、あっという間に世界を制覇し、人類の脳は映画によって完全に洗脳された。
その頃にリミュエール映画を初めて観たロシアの文豪ゴーリキーの言葉。
シネマグラフ (映画) の印象は余りにも複雑で異常だ。
それはまるで黄泉の国であった !
私は今のところリュミエールのこの発明を賞賛しないが
その重要性は認識している。
きっと、人間の生活と精神に影響を及ぼすであろう事を
映画という人類の発明は、黄泉の国、つまり魔界からやってきた魔法であり、その魔法は今後の人間の生活と精神に影響を及ぼす、と言及している。ゴーリキーのその言葉通り、映画という魔法は、映画誕生の頃から現代まで一貫して変わることがなく、私たちの生活と精神に多大な影響を及ぼしている。人類は未だ映画という魔法に心奪われて続けているのである。
まるで人類が火を発見した後、その制御に魅了され続けているように、人類が言語を発明して後、言語なくしては生活できないように、映画の発明は火や言語のそれと同等に、人類の精神と生活の基盤に瞬く間に入り込み、その影響は122年経った今も衰えることを知らない。
それはなぜか? それは映画が人類が発明した最先端の映像という言語であることに他ならない。まあ、そのことは置いておいて、話を映画史に戻そう。
最初は、機関車やら、工場の出口やら、水かけられた散水夫などの短い映像を人々に提供していた映画だが、人類は飽きやすい動物なので、発明当初はあれほど驚いていた魔法に対しても、さほど驚かなくなってしまう。
そこで考え出した次の魔法が「物語つきの映像」であり、1893年の映画の発明のわずか9年後の1902年に、フランスのメリエスによって世界初の劇映画「月世界旅行」が発表された。
監督のメリエスの元の職業は何とマジシャン!
つまり映画は魔術師によって魔法を進化させたことになる。
ここから映画という魔法の進化は凄まじいので、それを一覧で書く。
(映画史は退屈かもしれませんが、もう少し頑張ってくださいね。ここ
を書かないと「新世紀映画論」に入っていけないので)
1893年 人類初の映画の発明 (アメリカ/フランス)
1902年 人類初の劇映画の発明「月世界旅行」(フランス)
1903年 人類初の西部劇の発明「大列車強盗」(アメリカ)
1906年 人類初のアニメの発明「愉快な百面相」(アメリカ)
1916年 映画技法の発明「散りゆく花」(アメリカ)
1925年 モンタージュ編集の発明「戦艦ポチョムキン」(ソ連)
1927年 トーキー映画の発明「ジャズシンガー」(アメリカ)
1935年 カラー映画の発明「虚栄の市」(アメリカ)
映画が誕生してわずか30年で映画の基本形は作られ、たったの38年で、
現在私たちが呼んでいる「映画」という形が完成された。
絵は人類が36000年前に発明し、完成するには35000年かかった。
音楽は人類が40000年前に発明し、完成するには39500年かかった。
映画は人類が発明してから、何と! 30年足らずで完成した。
これは驚くべき発展の速さであり、人類が映画という魔法にどれほど
熱狂したかの証である。
ゴーリキーの予言通り、現代においても映画は、人類の精神と生活に
多大な影響を及ぼし続けている。
(第3回に続く)